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Craig Walter Brazell, 1980年5月10日アメリカ合衆国アラバマ州出身。高校在学時から飛距離のあるバッターで「高校通算130本くらい打った」と豪語する。当時はアメリカンフットボールのクォーターバックも掛け持ちしており、NFLからオファーが来たこともあったが、膝の怪我もあり、以後野球に専念する。
1998年6月2日に、メッツからドラフト5巡目で指名を受け、入団年は、マイナーリーグで13試合に出場して、打率.298・1本塁打・6打点という成績を記録した。一方、守備面ではファーストとしての試合出場がメインであったが、捕手としても2試合に出場している。翌1999年は、本塁打こそ約10試合に1本のペースとなる6本塁打に留まったが、59試合の出場でヒットを85本放ち、.385という高打率を残した。以後もマイナーリーグでプレーし3割越えのシーズンもあり、マイナーでは目立った数字はなかったもののHR・打率はそこそこ良かった。
2004年シーズン後半にメッツでメジャーデビューを果たした。この年はメッツで24試合に出場して打率.265・1本塁打・3打点という数字を記録。なお、この年に放った本塁打は、メジャーリーグにおけるブラゼルの唯一の本塁打である。
2005年はマイナーリーグで数字を残せず、フリーエージェントとなった。次なる移籍先を探す必要性が発生したが、約5ヶ月間、所属先を見つける事が出来ず、ドジャースと契約したのは2006年になってからの事だった。この年、ブラゼルはドジャース傘下のチームであるジャクソンビル・サンズ(AA級)でプレイ。20本塁打と90打点をクリアしたが、一方で打率は.250にさえ届かなかった。自身2度目のフリーエージェントとなった。年明け前にロイヤルズと契約を結び、年内に移籍先を確保する事が出来た。
2007年は、実に3年ぶりとなるメジャーリーグでの試合出場を果たしたが、試合に出たのは僅かに5試合のみであり、放ったヒットも1本だけという寂しい結果であった。一方、マイナーリーグではAA級のチームであるウィチタ・ラングラーズで7本塁打、AAA級のチームであるオマハ・ロイヤルズで32本塁打を放ち、2チームトータルで39本ものホームランを記録し、この年のマイナーリーグ全体の本塁打王となった。
2007年後半、埼玉西武ライオンズへの入団が発表された。推定年俸1億円の1年契約。メジャー通算1本塁打ながらマイナーでは通算162本塁打を打っており、オリックス・バファローズに移籍したカブレラの穴を埋める選手として期待され、背番号もカブレラの42を受け継いだ。
2008年はシーズン開幕から4番を任された。真面目な性格で、当時打撃コーチだった大久保博元から積極的にアドバイスを聞くなど、日本球界へ積極的に溶け込む姿勢が見られた。6月には打率.344、6本塁打21打点の活躍で月間MVPを受賞した。この受賞と、来日して以来自宅から西武ドームまで西武鉄道を利用して電車通勤していたことから、西武鉄道が実施する「Save the earth」キャンペーンのイメージキャラクターに選ばれた。
打球方向が右翼に集中する傾向が強く、後半戦はブラゼル対策として極端に右翼側に守備が寄る「ブラゼルシフト」が各球団に浸透したこともあり低打率に喘いだ。徐々に成績は低下し、量産していた本塁打も8月下旬からは1本も打てなくなった。10月4日に対楽天戦で木谷寿巳から後頭部に死球を受けて交代し、その後目まいの症状を訴えた。数週間経っても症状は治まらず、日本シリーズの登録枠から外されて帰国した。ボカチカと共に、翌年の契約はクライマックスシリーズと日本シリーズの活躍次第とフロントから通告されていたが、両シリーズに出場できなかったことと、頭部死球による故障から復帰のめどが立たなかったことから、西武退団が決まった。低打率と故障で退団となったが、シーズン通しての成績は本塁打リーグ4位(27本)、打点同7位(87打点)と2割台前半の低打率ながら悪くはなかった。
2009年は、アメリカ独立リーグ・アメリカン・アソシエーションのセインツに入団。開幕から6試合で打率.556、4本塁打、11打点と好調だったところ、打撃不振の阪神新外国人メンチの代役を探していた阪神の目に留まり、5月正式契約、背番号は当時空き番だった67になった。
西武時代にすでに他球団に攻略されていることから、当初は西武の渡辺久信監督から日本での活躍について否定的な発言をされていたが、6月5日に一軍登録される。8月には、米国で長男が生まれた8月26日の対横浜戦ではプロ野球18人目となる1イニング2本塁打を放った。阪神では1982年の掛布雅之以来で、外国人では1969年のウィリー・カークランド以来である。
シーズンが終わってみれば打率2割9分・16本塁打の好成績を残し、メンチの穴を埋めた。シーズン終了後アメリカへ帰国する際「生涯、阪神で選手を終えるくらいの気持ちでいる」と残留を熱望し、阪神への想いを語った。年俸8,000万円の1年契約で2010年の契約を結んだ。
2010年は開幕から好調をキープし、打率3割以上。HR王を常に争っている。
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| ブラゼル選手の主な記録・特徴 |
| 年度 |
打率 |
打数 |
本塁打 |
打点 |
盗塁 |
| 2004 |
.265 |
35 |
1 |
3 |
0 |
| 2007 |
.250 |
5 |
0 |
0 |
0 |
| 2008 |
.234 |
521 |
27 |
87 |
0 |
| 2009 |
.291 |
295 |
16 |
49 |
0 |
| メジャーTOTAL |
.263 |
38 |
1 |
3 |
0 |
| プロ野球TOTAL |
.255 |
756 |
43 |
136 |
0 |
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※黒字はシーズン自己記録
※赤字はシーズン1位
※2004年メッツ、2007年ロイヤルズ、2008年西武、2009年〜阪神
記録
・プロ野球18人目となる1イニング2本塁打。
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特徴
西武時代から知っていただけに、2009年阪神が獲得した時は個人的には反対だった。西武時代の三振の多さ、強打者のわりに四球が少ないという欠点があった。が、阪神移籍後は彼の真面目な性格もあり、追い込まれると軽打に切り替える等して確率を改善している。
アッパースイング系の外国人と同じように弱点は内角高めのストレートだと去年までは思っていたが、2010年からそれもHRにしてしまう技術がある。あいかわらず、ボール球には手を出すが、それでもヒットにしてしまうリーチの長さも彼の特徴。
勝手に2010年の能力をつけさせてもらうと(野球ゲーム風に)
パワー A
ミート D
走力 F
肩力 D
守備力 D
パワーヒッター チャンス× 選球眼× ローボールヒッター
ウンチク
西武時代は球場まで西武電鉄で通っていた。
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