1935年、大阪タイガースが発足。1940年9月25日、戦局悪化による日本野球連盟の方針で敵性語である英語の使用禁止受け、球団名を大阪タイガースか阪神に改称した。 1961年チーム名を阪神タイガースに変更した。1962年2リーグ制後初のリーグ優勝を果たす。日本シリーズでは、東映フライヤーズと戦い敗れる。1964年にもリーグ優勝、南海ホークスを相手に先王手をかけるも敗れる。
1985年、吉田監督、1番・真弓、3番・バース、4番・掛布、5番・岡田らの強力打線が活躍し、このシーズンは最終的に219本塁打を記録し、2004年に巨人に破られるまでセ・リーグ記録だった。特に阪神初の三冠王に輝いたバースは本塁打が54本と、巨人の王のシーズン最多本塁打記録に迫る活躍をしたが、シーズンの最終2戦で、記録保持者の王が監督として率いる巨人に敬遠攻めをされ、記録更新を阻まれたという噂もある。試合前に巨人の全ピッチャーに「バースにストライクを1球投げるごとに罰金100万円」という脅しが出ていたという。江川の空白の一日等、打倒巨人や巨人ファンの流出が加速した事件だったといえる。
1985年10月に21年ぶりのリーグ優勝を果たした。日本シリーズでは西武を相手に悲願の日本一を達成した。
2003年は開幕より快進撃を続け、優勝マジックをセ・リーグ史上最速となる7月8日に点灯させ、9月15日に18年ぶりのリーグ優勝を果たした。日本シリーズではダイエーと戦い、第7戦までもつれ込んだが3勝4敗で敗れた。この対戦は互いにホームグラウンドで全勝したため、内弁慶シリーズと呼ばれた。また、シリーズ終了後、星野は健康問題を理由に監督を退任。
2005年はJFKなど救援投手陣の活躍、金本知憲、今岡誠、シーツのクリーンナップが安定した成績を残した。この年から導入された交流戦で好成績をあげて首位に立つと、シーズン終了まで1度もその座を譲ることなく5度目のリーグ優勝を飾った。日本シリーズでは、ロッテと対戦するも4連敗で日本一を逃す。
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